本間幸司選手、穏やかで飾らない性格

微笑みの守護神 本間幸司!
こんばんは水戸サポーターです。

前回は、水戸ホーリーホック 湯澤洋介選手の魅力をお伝えしましたが、今回は、本間幸司選手をご紹介致します。
本間幸司選手は、茨城県日立市出身 水戸短大付属高校(現 水戸啓明)から浦和レッズに入団 3年間、浦和でプレーしました。

そして、1999年当時JFLの水戸ホーリーホックに入団以来、今シーズンで18年水戸の顔としてプレーしています。
熱心なファンサービスと、穏やかで飾らない性格もあって、本間幸司選手は老若男女(特に子供の人気が高い!)問わず、水戸サポに親しまれています。

冒頭の微笑みの守護神の意味ですが、私が独断で名付けました(笑)
ここ数年、試合中よく見る光景ですが、ミスをしたDFに対して怒る訳でもなく「大丈夫!大丈夫!」と笑顔で声を掛ける場面が増えました。

この事に関して、本間幸司選手は「自分の様なベテランが怒ってしまうと、若い選手は萎縮してしまう。若い頃は出来なかったけど」と述べている通り、以前は、結構激しく怒鳴る事もあったと、1人の水戸サポとして覚えてます(観客席まで聞こえてた)。

さて、そんな本間幸司選手も今シーズンで、在籍19年目。
身体の衰えも見てる限り、全く感じられず元気に練習に明け暮れています。

我々、水戸サポは「幸司と共にJ1へ!!」が共通の悲願です。私も、1試合でもいいから、本間幸司選手が水戸のユニフォームでJ1のピッチに立っている姿を早く見てみたいです。
今回も最後まで、筆者の拙い記事にお付き合いして頂きありがとうございました。

内田篤人の軌跡と復活

端正な顔つきで女性ファンの多い内田篤人選手だが、ここ数年は怪我に苦しんでいる。
かつて日本代表の不動の右サイドバックを務めた男に何がおこっているのだろうか?
2014年2月のハノーファー戦での怪我が尾を引いていると報道されている。

2014年3月に所属クラブのシャルケから正式に内田篤人選手の怪我が発表されたが、その後も、ブラジル・ワールドカップや不審にあえぐ所属チームのために、怪我を押して出場を続けたのが仇となったのか長期離脱を余儀なくされる。
実に属シャルケの公式戦を74試合も欠場し、再びピッチに立つまでに639日を要したのだ。
その長期にわたる離脱の怪我は何だったのか?直接的な病名は公表されていないが、手術をしたのは右膝・膝蓋靭帯(しつがいじんたい)だと言われている。

さらに不幸なことに、内田篤人選手の追った傷は深く膝蓋靭帯が骨化するという特殊な症例であると報告されている。
著名なサッカー選手でこの病気を克服した例は多くなく、手術をしたからと言って必ずしも完治する怪我ではないようだ。
実際に公式戦のピッチに戻ってくるまで多くの時間を棒にした。

しかし、多くの方が疑問に思うのは、2014年2月のハノーファー戦での怪我後も彼がピッチに立っていた事実、特にブラジルワールドカップでも本大会では全試合スタメンでフル出場を果たしている。
多くの方はそこで無理をしなければこれほど怪我が悪化しなかっただろうと嘆いている。

実際、ワールドカップ中に「右足は地面についているだけの状態」だったことを、内田篤人選手本人が告白している。
長いサッカー人生を考えると間違いなく欠場すべきだっただろうが、その時の日本代表のメンバーはワールドカップ優勝を目標に掲げていた。
その言葉を果たすには、内田篤人選手の力が必要なことは、本人が誰よりも理解していただろう。

高い目標を掲げた日本代表の仲間のために、応援するサポーターのために自分のサッカー人生を棒に振るリスクを犯してまでも、出場を辞めなかった内田篤人選手の判断は私たちサポーターの胸を打つものだろう。
決してプロとしては褒められる判断ではないかもしれないが、それでもその瞬間に満身創痍の体でもベストを尽くした内田篤人選手は、尊敬されるべきプレーヤーだろう。

そして、今でも青い代表のユニホームを着た内田篤人選手が、右サイドをオーバーラップしていく姿は、我々の目に焼き付いている。
嬉しいことに2017年に3月23日に彼は連中試合ながらも離脱後の初のフル出場を果たしている。
完全復帰にはまだ時間がかかると報道されているが、あの端正な顔つきをした内田篤人が我々の代表の右サイドバックに帰ってくる日は刻一刻と近づいている。
今を時めく久保裕也と共に、右サイドでアジアのライバルを圧倒する日はすぐ近くにまで迫っているのだ。

柿谷曜一朗、元日本代表サッカー選手

柿谷曜一朗選手との出会いは、2009年最下位に低迷していたサッカーJ2徳島ヴォルティスへ彼が移籍してからです。
彼は、J1サッカーの人気チームであるセレッソ大阪の生え抜きの選手で、16歳でプロ契約をしています。
同期入団に香川真司選手がいます。
香川選手の台頭で思うような結果を出せなかった柿谷曜一朗選手は、遅刻癖などの怠慢から移籍を余儀なくされました。

彼の徳島でのデビュー戦は、横浜FC戦で、スタメンに抜擢され見事に期待に応え先制ゴールを決め、2-0の勝利に貢献しました。
徳島在籍中の柿谷曜一朗選手は、多くの徳島ヴォルティスサポータを魅了してくれました。

柿谷曜一朗選手のボールさばきの華麗さスピード感どれをとっても何かやっれくれるのではないかとワクワクさせてくれました。
彼の在籍中にJ1昇格の夢はかないませんでしたが、その後、徳島ヴォルティスがJ1昇格につながる道筋を作ってくれた気がします。

セレッソ大阪に復帰してからの柿谷曜一朗選手の活躍は目を見張るものがありました。
セレッソの中心選手となった彼は、ついに日本代表まで駆け上がり、2013年の東アジア大会では得点王となり、見事初優勝に貢献しました。
翌2014年にはワールドカップ日本代表として出場しています。

ワールドカップ終了後、彼はスイスリーグ”バーゼル”へ移籍し多くのファンの応援を受けましたが、ここでは思う結果が出せず再びJ2に降格したセレッソに復帰しています。
復帰後の数試合は、柿谷曜一朗選手のゴールで湧きましたが残念なことにケガによってリーグ戦終了間際まで、欠場していました。
結果的にはリーグ4位からプレイオフでJ1昇格を果たしています。

そして2017年、柿谷曜一朗選手の真価が試されるシーズンが始まりました。
まだケガの影響で本来の彼らしいプレーからは、ほど遠い気がしますが気温の上昇と共に活躍してくれることを期待しています。
柿谷曜一朗選手のファンタスティックなプレーで、われわれファンを魅了してほしいです。
そして、日本代表を再び手に入れてほしいと願っています。

吉田麻也選手のサウサンプトンFCでのこれからに期待!

吉田麻也選手といえば、サッカー日本代表にも毎回召集され続けているディフェンダーです。
不動のセンターバックとして多くの代表選に出場してきたので、彼の名前を知っている方も多いでしょう。

そんな吉田麻也選手ですが、実は現在所属しているサウサンプトンFCでのパフォーマンスが良くなく、少し前までかなりの批判を受けていました。
吉田麻也選手の持ち味といえば、空中戦での強さや、後方からの正確なパス供給によるゲームの組み立てなどで、これらの調書がうまくいかせることができる試合では、一定以上の評価を受けてきました。
オランダのクラブからイングランド・プレミアリーグの名門サウサンプトンFCに移籍できたのも、そうした評価があったからでした。

しかし、吉田麻也選手はときどき軽率なミスをしていまうという欠点があり、彼のパスミスから相手にゴールを奪われるようなシーンが何度かありました。
彼のプレーは、不安定だったのです。
サウサンプトンFCでは、そうした不安定さが批判の的になっており、そのせいで吉田麻也選手の出場機会も減っていました。

ですが、2016年後半から徐々にプレーが安定し始め、評価が急回復したのです。
リバプールなどの強豪相手でも、臆することなく安定したプレーを見せ、リーダーシップをも発揮するようになり、いつの間にか吉田麻也選手はサウサンプトンFCに欠かせない存在へと成長しました。
私は、このことを本当にうれしく思っています。

というのも、彼が、今後の日本代表をも引っ張ってくれるのではと期待しているのです。
現在の日本代表は、ワールドカップ最終予選で苦戦しており、そうした苦境を乗り越えるには、吉田麻也選手の活躍が必要だと思います。
今後も、吉田麻也選手が安定したプレーを続け、活躍してくれるのを期待しています。

内田篤人選手、ドイツブンデスリーグ、シャルケ所属

2018年ロシアワールドカップの出場権をかけてアジア最終予選を戦っているサッカー日本代表。
厳しい予選の中で経験がある選手、世界と戦える選手をハリルホジッチ監督は求めています。

現在のサッカー日本代表には海外のクラブで活躍できている戦える選手は少なくなっています。
ベルギーで目覚ましい活躍する久保裕也選手など有望な若手が台頭していますが、何が起こるかわからないアジア最終予選に必要なのは豊富な経験がある戦えるベテラン選手ではないでしょうか。

海外で活躍し、アジア最終予選を経験し、戦えるベテラン選手。
そんな条件を満たせるのが、ドイツのブンデスリーガ1部シャルケに所属する内田篤人選手です。

内田篤人選手は、2010年にシャルケに移籍以来、フィジカルコンタクトの多いブンデスリーガで右サイドバックとして各国代表のエース級のアタッカーと対峙してきました。

シャルケはクラブチームの最高峰の大会であるチャンピオンズリーグにも定期的に出場しており、内田篤人選手もそこで日本人初のベスト4入りを果たしています。

また、南アフリカワールドカップ予選、ブラジルワールドカップ予選と2大会連続でアジア最終予選も経験しており、何が起こるかわからない厳しいアジアの戦いをよく知っている選手です。

怪我から復帰したばかりですが、戦えて経験豊富な内田篤人選手は日本代表がワールドカップに出場し、本大会で躍進するには絶対に欠かせない選手といえるでしょう。

アルバロ・モラタ、レアルマドリード所属、スペイン代表サッカー選手

サッカースペイン代表のアルバロ・モラタ選手について紹介します。
アルバロ・モラタ選手は、スペインの名門レアルマドリードのアカデミーで育ち、将来を嘱望されており、若いうちから試合にも出ていました。

しかし、世界屈指の名門において中々レギュラーポジションをつかめず、またレアル側としても使わないのはもったいないということで、イタリアの名門ユベントスに移籍します。
この移籍は少し特殊で、ユベントスへの移籍金よりも高い移籍金をレアルが払えば、買い戻せるというオプションがついていました。
すなわち、アルバロ・モラタ選手が成長した段階で買い戻す意図があったのです。

ユベントスに移籍してきてからは、膝の怪我があったものの、回復後はコンスタントに試合に出て、結果も出していました。
特に印象的だったのは、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝でレアルとユベントスが試合した際に、2試合ともゴールを決めた試合です。
アルバロ・モラタ選手は、ゴールを決めても決して喜ぶことはなく、古巣への気遣いを見せていました。

その後レアルへと戻りましたが、再びベンチ生活が続いています。
結果が出ているだけに本人の不満もあるようで、再びイタリアやイングランドへの移籍のうわさが出ています。
試合に出れば結果を出すFWとして、アルバロ・モラタ選手を欲しいクラブはかなり多いようです。

中澤佑二選手のプロ意識

サッカーを好きな人なら一度は聞いたことが、そして見たことがあるであろうボンバーこと中澤佑二選手(元横浜F・マリノス)。
代表の主力として、2006年、2010年のW杯に臨み、2010年では日本のベスト16進出に大きく貢献。
クラブでも2004年にJリーグMVPを受賞するなど輝かしいサッカー人生を送っている。

実は中澤佑二選手がとても苦労人であることをご存知だろうか?
高校からプロ志望であったものの、高校サッカーではパッとせずにスカウトから声はかからず。

その後ブラジルに渡り経験を積むもののそれでもプロから声はかからず、高校サッカーを卒業した後もスカウトが見に来る試合では恥を忍んで後輩に混じって試合に出ていた等、大よそ世間に知られている華々しい成績とはかけ離れている。
その後、ヴェルディ川崎(当時)の練習生として参加をきっかけにプロへの階段を駆け上がり、そこからは皆様の知っている中澤佑二選手である。

そして1999年21歳でプロ契約後、2017年39歳になった今でも現役を続けている。
これは食生活から睡眠時間まで全て計算しているストイックな体調管理と日々の目標を持ったトレーニングによるものが大きい。
インタビューなどを聞いていてもベテランと呼ばれるようになった後も毎年目標を持ち、練習場でもそういったトレーニングを積んでいる。
まさに不屈の男・努力の男、中澤佑二選手であり、その姿はサッカーを志すものでなくても心を打ち尊敬に値する人物である。

ちなみに、練習を見に来たファンへのファンサービスも丁寧なことで有名。
も、上記の通りストイックな性格のため体調管理等の問題がある時はファンサービスを行わないことがあるので、中澤佑二選手を目的で練習場に行かれる方は注意。