イタリアの名門インテルで這い上がってきた男、長友佑都選手

長友佑都選手はインテルで年長者である。
長友佑都選手がインテルに入団してから長い年月が経つが、今なおインテルで更なる高みを目指して日々奮闘している。

では、長友佑都選手にとって一番充実していたシーズンはいつなのか。
一番結果がでた2013/2014年シーズンか。
答えはノーだ。
むしろ前半戦で戦力外扱いをされていた2015/2016シーズンだという。

それではなぜか。
その年のシーズン初めの方、ジュニアユースの選手と練習していたのだという。
そのとき長友佑都選手は走りながら涙が出ていたのだそうだ。
よほど悔しかったに違いない。
移籍の話も取り正された。

だが、長友佑都選手は残留というより厳しい道を選んだ。
そこで長友佑都選手がこの状況をこのように打開しようと考えたのだという。
「練習を120%でやること」
練習で誰よりも声を出し、誰よりも追い込む。
インテルでレギュラーになれる保証はない。

だが、長友佑都選手はあきらめなかった。
その結果、後半戦から出場機会が増え、最終的にライバルからポジションを奪い取った。
人間生きていく中で安定であればそれでいいのかもしれない。

だが、リスクを冒してより厳しい道を選び、その中でもがいた方がはるかにいろんなことが学べるし、人間追い込まれると大きく飛躍する。
その事実だけは日本人に伝えておこう。
これからもがんばれ長友佑都選手!

長友佑都と我々が彼の生き方から学べる事

サッカー日本代表と言えば文字通り日本人で最もサッカーが上手いプロ選手たちの集まりだ。
多くのサッカーファンの憧れの対象となり多くのお金をかせぐ魅力ある男たちである。
一見して人生に挫折を味わったことのなさそうな、世間知らずのエリートたちだけで構成されているかのようにさえ見える。

しかし、そんな中でもサッカーエリートではなく、雑草魂でたたき上げで結果を残し日本代表のユニホームを勝ち取った男がいる。
その名前は長友佑都だ。

オフシーズンにはよくテレビにも出演しており、何よりもタレントである平愛梨と結婚したことでサッカーファンでなくとも、長友佑都の名前はご存知だろう。
今でこそイタリアの名門インテル・ミラノに所属し日本代表の顔だが、子供時代に多くの苦難を経験している。

実際に、長友佑都の父と祖父の事業失敗したために父はが失踪し、母一人子供3人の厳しい生活を子供時代に送っているのだ。
幾ら道具の少ないサッカーとはいえ、母子家庭で本格的にサッカーをすることは、家庭の経済を間違いなく圧迫しただろう。

しかも、長友佑都は、小学6年生時に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けるも不合格になっており、サッカー人生も順調ではなかった。
2002年にサッカーの強豪東福岡高校に進学するも、地区選抜などには選ばれず、全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られずに高校の指定校推薦で明治大学に入学することになる。
大学時代も入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発したために、試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。

しかし、椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功したのか2006年8月以降に急激に頭角を現しチームの主力選手へと駆け上がる。
長友佑都の成り上がりはとどまることなく全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出され、2007年5月からはFC東京の特別指定選手に登録され7月8日には公式戦デビューをかざりU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出されることになる。

そして、大学卒業を待たずにしてFC東京と契約を結び明治大学を中退することになる。
ここからの長友佑都のストーリはサッカーファンなら誰もがご存知だろう。

瞬く間に日本代表に選出され、伝説の2010年南アフリカワールドカップで結果を残し世界一過酷なリーグセリエAへと移籍する。
ACチェゼーナと言う小さな町クラブに所属するがたった16試合でその献身的かつ驚異的な運動力が評価されて名門インテル・ミラノへと移籍することになる。

つい4年ほど前までは明治大学でもスタメンを貼れずに応援団として太鼓を叩いていた男が誰もが知るインテル・ミラノに所属しているのだ。
長友佑都が、なぜこれほどまでに評価されるのか?
それは驚異的で献身的な運動量だろう。
長友佑都の成り上がりの人生を見ると誰もが大きな成功をつかむチャンスがあることを教えてくれる。

ただ、そのチャンスがあった時に全力でつかみにいくかは自分次第だ。
長友佑都も明治大学を卒業してからFC東京に所属することを希望していれば、U23歳以下の日本代表にも選ばれることはなかったかもしれない。

そうであれば、今8万人を収容するインテルのホームであるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァでプレーする日本人を我々は目にできなかっただろう。
自分がどんな環境で育っても腐らずに努力をしチャンスに積極的に挑戦すれば大きな成功を掴める。
それが長友佑都が我々にサッカー人生を通して教えてくれた貴重な教訓だ。

レアル・ベティス所属、乾貴士選手の来期

スペイン1部リーグエイバル時代の乾貴士選手が、世界的なビッククラブのバルセロナから2ゴールを決めた。
それもホームではなくアウェイのカンプノウで決めた。
いずれもとても難しいゴールだ。

1点目は右側からのセンタリングを迷わず、乾貴士選手は左足できれいにミートしていた。
上半身のぶれがなく、しっかりとボールを見ていたのがとてもよかった。

あの角度で浮き玉をゴールの枠自体に入れることは、かなりむずかしいのに、乾貴士選手は決めきったところが本当にすばらしいと思います。
一旦トラップしてからシュートを狙う選択しもあったが、ダイレクトでシュートを打つ最初の決断がとても優れていたと思います。

2点目は左足の方にボールを運び、これも角度がないところから、思い切ってシュートを打ってゴール左上に決めています。
非常に思い切りのいいシュートだと思います。
日本人のサッカープレーヤーはゴール前でシュートをあまり打たず、すぐにパスを選択する消極性が指摘されていますが、乾貴士選手はとても積極的でいいと思います。

乾貴士選手は、これで今期6ゴールとなりましたが、来期は是非二桁のゴール数を期待したいと思います。
この試合での得点によってゴールを決めきる姿勢が定着する事を期待しています。
ヨーロッパではゴール数によってほとんどの評価が決まりますので、乾貴士選手には、これからもがんばってほしいです。

セレッソ大阪の清武弘嗣になる日がこんなに早く来るとは!

2017年、清武弘嗣がセレッソ大阪に戻る。
セレッソ大阪のファンである私がこのニュースを聞いた時、嬉しさよりも驚きの方が大きかった。

まさか、こんなことが起きるなんて。
清武弘嗣は移籍先にセレッソ大阪を希望し、クラブはその想いに応えた。

ファンとしては、清武弘嗣がセレッソ大阪に戻りたいと言ってくれたのが何よりもうれしい。
ニュースによると、移籍金の高さがネックとなり交渉は難航したそうだが、セレッソ大阪がスポンサー企業などの資金援助により、移籍が実現したそうだ。
セレッソ大阪はこの移籍金のせいで、今年度の赤字は免れられないらしい。

当然、清武弘嗣はそのあたりの事情も知っているだろうから、今シーズン彼が背負うプレッシャーは半端ないものだと想像される。
「何としても結果を出さねばならない」という彼の思いが、シーズン前のキャンプで彼に無理をさせたのだろうか。
右脚に張りを感じて、シーズン最初の2試合を欠場することになった。

まだ完璧な状態ではなかったと思われるが、その後の試合での彼のパフォーマンスは素晴らしかった。
今後コンディションが上がれば、さらに良いプレーをしてくれるだろう。

プレーすることに飢えた清武弘嗣が、セレッソ大阪で、そして日本代表で、大暴れしてくれることを私は期待している。

北海道コンサドーレ札幌、宮吉拓実が輝きを取り戻す日は来るのか?

かつて京都の至宝と呼ばれた宮吉拓実を記憶しておられるでしょうか?
2008年に16歳1カ月14日と言う当時Jリーグ史上2番目に若いデビューを果たした男です。

宮吉拓実は当時、日本初のエレベータークラブと揶揄されていた京都サンガの期待の星で、京都ユースの最高傑作と囁かれていました。
実際デビュー戦でも鋭いスルーパスを出すなどその才能の片りんを見せており、2009年に17歳でゴールも決めています。

宮吉拓実は小柄な体ながらも、相手ディフェンダーとの駆け引きが上手く、スルスルと突破する姿は当時の京都サンガのエース柳沢敦にそっくりでした。
実際、エースの柳沢が抜けた後は2011年シーズンから柳沢の番号13番を背負い京都のエースとしてゴールを積み重ねます。

2011年には7ゴール、翌2012年には11ゴールをあげ、宮吉拓実は若手ながらチームをけん引しますが、あと一歩の所でJ1昇格がならずJ2での日々が続きます。
そのJ2での日々が悪影響を与えたのか京都の至宝宮吉は、2013年シーズンからゴール数を落としてゆきついに富山へのレンタル移籍が決まりました。

1年半に及ぶ富山でのプレーの後、古巣京都に戻りますが結果を出せず、2016年にはJ1サンフレッチェ広島へと移籍することになりました。
くしくも彼を育てた京都と同じ紫のユニホームを纏いながら、広島の地で奮闘しています。

京都の至宝宮吉はただの早熟選手だったと評価するサポーターも多いですが、彼もまだまだ24歳で成長が見込める選手です。
広島の地でかつての輝きを取り戻し、いつの日か自分が育った西京極のスタジアムで京都の紫のユニホームを着て、Jリーグの頂に立つ宮吉拓実を見せてほしい。
多くの京都サポーターがこれが京都の至宝だと!西京極で声を高らかに上げる声をいつかかならずもう一度聞かせてくれるでしょう。

※2018年、宮吉拓実選手は北海道コンサドーレ札幌に移籍しました。

三浦知良選手、現在は横浜FCに所属、FWで、背番号11番

日本におけるサッカー選手と言えば、三浦知良選手だと思います。
現在50歳ですが現役のサッカー選手です。
現役選手としては世界最年長のプロサッカー選手になります。

私が小さいころ(現在32歳です)にはスーパースターで、三浦知良選手のアニメをみました。
そのアニメを見て、サッカーを始めた子もいると思います。

またサッカーで挫折していた子もこのアニメを見て、またサッカーを始めた子もいると思います。
私がサッカーをしていたころは、読売ヴェルディに三浦知良選手は所属していて読売ヴェルディは1992年にはJリーグカップに優勝をして、三浦知良選手は大会MVPにもなりました。

その後もずっとサッカーを続けていき気がつけば50歳です。
それでもプロサッカー選手として生きている三浦知良選手はを尊敬します。

ここまでサッカーを愛して続けている選手を私は見たことがありません。
できるものなら、サッカーワールドカップの代表選手に三浦知良選手を出してもらいたいです。

年齢的に厳しいと思われますが、経験はピカ一だと思います。
50歳になってもまだプロサッカー選手でいるということは、誰もが認める選手で、世界最年長の選手です。
是非三浦知良選手を押していきたいと思います。

本田圭佑はどこに向かおうとしているのか?

今シーズン、ライバルのスソにポジションを奪われてほとんど出場機会がない状態になっている本田圭佑。
冬の移籍マーケットが開いた時期には、プレミアリーグのハルシティからオファーがあったものの、断ってしまった。

本田圭佑には本田圭佑の考えがあるのだろうが、試合に出ない状態が続くのはやはりもったいないものである。
年齢的にはベテランになってきている中で、ただベンチにいることに意味はあるのだろうか。

ハルシティはリーグの中では残留争いをするレベルのチームではあるが、それでも世界一お金持ちのリーグと言われるプレミアリーグに所属しているチームである。
活躍次第では、一気にビッククラブに加入することができる可能性も大きい。
日本代表にとっても本田圭佑がベンチに座っている今の状態は大きな損失であろう。

最近の本田圭佑は代表の試合に出場しても、あきらかにキレがなく判断も鈍い。
少しづつ若返りが進んでいるとはいえ、まだまだ本田圭佑の存在は代表にとって不可欠なはず。

ミランとの契約はもうじき切れるが、彼はどこに向かおうとしているのだろう。
自らがオーナーとなったオーストリアのチームの経営や、そのほかの彼が手がけているビジネスのことしか頭にないのだろうか?。

そんはずはない。
本田圭佑は経営者である前に一人のフットボーラーなのだから。
逆襲する本田圭佑を見せて欲しい。