三島康平、空を制する男の魅力

皆さんこんにちは。水戸サポーターです。
前回迄は、現在水戸に所属している選手を取り上げてきましたが、今回は水戸OBの三島康平選手を取り上げていきたいと思います。

水戸サポーターの私にとって三島康平選手は、絶対に忘れる事ができない選手です。
おそらく多くの水戸サポーターも、私と同じ気持ちではないでしょうか?それぐらい、水戸サポーターにとって三島康平選手は大切な存在でした。

三島康平選手は埼玉県出身の29歳 駒沢大学からヴィッセル神戸に入団しました。
浦和東高校時代は、全国的には無名選手でしたが、駒沢大学時代に、大学の先輩でもある、巻誠一郎選手(現ロアッソ熊本)を彷彿とさせる前線からの激しいプレッシングと、無類の空中戦の強さで注目を集めました。

しかし、期待されて入団した神戸では、怪我もあり在籍2年で4試合出場 無得点と不本意な成績で、僅か2年で神戸を退団して、2012年水戸に拾われる形で入団しました。
水戸でも怪我に泣き、中々満足なプレーは出来ませんでしたが、柱谷監督の辛抱強い指導もあり、翌13年シーズンは試合出場も増え32試合4得点を記録し、以降、レギュラーに定着しました。

翌14年シーズンは、35試合出場5得点、15年シーズンは怪我に苦しむも33試合出場7得点と、自己ベストの成績を残し、水戸のエースとなりました。
サポーターにも、丁寧なファンサービスと天然なキャラクターで1番の人気者になりました。

翌16年シーズン、水戸サポーターに激震が走りました。
低迷に苦しんだ15年シーズンを、支えた主力選手達が次々とチームを去り、「三島も水戸から居なくなるんじゃ…」と不安にかられました(ホントに心配しました)

しかし、三島康平選手は西ヶ谷監督やチームメイドの説得もあり無事残留し、オフの鬱憤を晴らすが如く、ゴールを量産しました。
三島康平選手は、シーズン中の7月に松本山雅に移籍する事になりましたが、サポーターはショックを受けましたが、晴れやかに三島康平選手を送り出す事になりました。

お別れ試合の町田ゼルビア戦は、後半20分まで、0-3と大苦戦しましたが、選手達も水戸サポーターも「勝って三島を送り出すんだ!!」と気合い十分で、残りの25分で3点を取り返し、引き分けに持ち込みました。
試合後、サポーターへ向けたお別れの挨拶は、三島康平選手も水戸サポーターも涙が止まらないセレモニーになりました。

松本山雅では、絶対的エースの高崎選手が居る影響でベンチスタートも多く、本人的には不本意でしょうが、松本山雅サポーターからは三島康平選手の信頼が厚いと聞きます。
水戸から松本山雅に移籍した理由は「もう一度J1でプレーしたい」との事でした。

松本山雅は強豪チームなので、三島康平選手の目標であるJ1でのプレーも叶うと思います。
今から、今シーズンの水戸対松本山雅で、ケーズデンキスタジアムに凱旋する三島康平選手を見る事が、私は楽しみでなりません。

細川淳矢選手、地獄を味わった男

皆さんこんばんは、水戸サポーターです。
過去、三島康平選手(松本山雅FC)馬場賢治選手(カマタマーレ讃岐)と水戸OBの選手を取り上げましたが、今回は今期、水戸で副キャプテンを務める細川淳矢選手を取り上げます。

細川淳矢選手は、埼玉県出身の32歳 高校時代は埼玉の名門武南高校で頭角を現し、仙台大学を得て、2006当時J2に属していたベガルタ仙台でプロデビューをしました。

仙台では、期待は大きかったものの、プロの壁を撃ち破れず、在籍6年間の通算でも出場9試合に留まり、最後の1年間は膝の大怪我にも苦しみ、2011年仙台との契約満了、細川淳矢選手曰く「地獄を見た1年だった。サッカー選手として自分は終わったと思いました。」という程追い込まれてました。

しかし、そんな細川淳矢選手に当時の水戸の柱谷監督が、救いの手を差し伸べ、練習生として水戸に加入する事になりました。

この時の事を、細川淳矢選手は後に「柱谷監督に誘われてホントに嬉しかったし、救われました。体がぶっ壊れてもやってやるぞ!と思いました。」と述べています。

そんな強い決意が実り、細川淳矢選手は7月に水戸の選手として、正式に入団しました。

そのシーズンは、7試合に出場しプロ初得点も記録し、翌年からはレギュラーに定着、14年シーズンこそ怪我の影響で10試合の出場に終わりましたが、それ以外の年は、水戸の守備の中心選手として、試合に出続けて、今に至ります。

細川淳矢選手の持ち味は闘志溢れるプレーですが、ピッチを離れれば、底抜けの明るさと後輩への優しさで人望も厚く、サポーターに対する態度もフレンドリーで優しく、話しかけやすい選手No.1です。

私の憶測ですが、サッカー選手として、1度地獄を見ているからこそ、自分を慕ってくれる仲間や応援してくれるサポーターへの感謝が、そういう気持ちにさせるのかな?と思います。
みんな大好き細川淳矢が、1日でも長く水戸でプレーしてくれる事を願うばかりです。

本間幸司選手、穏やかで飾らない性格

微笑みの守護神 本間幸司!
こんばんは水戸サポーターです。

前回は、水戸ホーリーホック 湯澤洋介選手の魅力をお伝えしましたが、今回は、本間幸司選手をご紹介致します。
本間幸司選手は、茨城県日立市出身 水戸短大付属高校(現 水戸啓明)から浦和レッズに入団 3年間、浦和でプレーしました。

そして、1999年当時JFLの水戸ホーリーホックに入団以来、今シーズンで18年水戸の顔としてプレーしています。
熱心なファンサービスと、穏やかで飾らない性格もあって、本間幸司選手は老若男女(特に子供の人気が高い!)問わず、水戸サポに親しまれています。

冒頭の微笑みの守護神の意味ですが、私が独断で名付けました(笑)
ここ数年、試合中よく見る光景ですが、ミスをしたDFに対して怒る訳でもなく「大丈夫!大丈夫!」と笑顔で声を掛ける場面が増えました。

この事に関して、本間幸司選手は「自分の様なベテランが怒ってしまうと、若い選手は萎縮してしまう。若い頃は出来なかったけど」と述べている通り、以前は、結構激しく怒鳴る事もあったと、1人の水戸サポとして覚えてます(観客席まで聞こえてた)。

さて、そんな本間幸司選手も今シーズンで、在籍19年目。
身体の衰えも見てる限り、全く感じられず元気に練習に明け暮れています。

我々、水戸サポは「幸司と共にJ1へ!!」が共通の悲願です。私も、1試合でもいいから、本間幸司選手が水戸のユニフォームでJ1のピッチに立っている姿を早く見てみたいです。
今回も最後まで、筆者の拙い記事にお付き合いして頂きありがとうございました。

内田篤人の軌跡と復活

端正な顔つきで女性ファンの多い内田篤人選手だが、ここ数年は怪我に苦しんでいる。
かつて日本代表の不動の右サイドバックを務めた男に何がおこっているのだろうか?
2014年2月のハノーファー戦での怪我が尾を引いていると報道されている。

2014年3月に所属クラブのシャルケから正式に内田篤人選手の怪我が発表されたが、その後も、ブラジル・ワールドカップや不審にあえぐ所属チームのために、怪我を押して出場を続けたのが仇となったのか長期離脱を余儀なくされる。
実に属シャルケの公式戦を74試合も欠場し、再びピッチに立つまでに639日を要したのだ。
その長期にわたる離脱の怪我は何だったのか?直接的な病名は公表されていないが、手術をしたのは右膝・膝蓋靭帯(しつがいじんたい)だと言われている。

さらに不幸なことに、内田篤人選手の追った傷は深く膝蓋靭帯が骨化するという特殊な症例であると報告されている。
著名なサッカー選手でこの病気を克服した例は多くなく、手術をしたからと言って必ずしも完治する怪我ではないようだ。
実際に公式戦のピッチに戻ってくるまで多くの時間を棒にした。

しかし、多くの方が疑問に思うのは、2014年2月のハノーファー戦での怪我後も彼がピッチに立っていた事実、特にブラジルワールドカップでも本大会では全試合スタメンでフル出場を果たしている。
多くの方はそこで無理をしなければこれほど怪我が悪化しなかっただろうと嘆いている。

実際、ワールドカップ中に「右足は地面についているだけの状態」だったことを、内田篤人選手本人が告白している。
長いサッカー人生を考えると間違いなく欠場すべきだっただろうが、その時の日本代表のメンバーはワールドカップ優勝を目標に掲げていた。
その言葉を果たすには、内田篤人選手の力が必要なことは、本人が誰よりも理解していただろう。

高い目標を掲げた日本代表の仲間のために、応援するサポーターのために自分のサッカー人生を棒に振るリスクを犯してまでも、出場を辞めなかった内田篤人選手の判断は私たちサポーターの胸を打つものだろう。
決してプロとしては褒められる判断ではないかもしれないが、それでもその瞬間に満身創痍の体でもベストを尽くした内田篤人選手は、尊敬されるべきプレーヤーだろう。

そして、今でも青い代表のユニホームを着た内田篤人選手が、右サイドをオーバーラップしていく姿は、我々の目に焼き付いている。
嬉しいことに2017年に3月23日に彼は連中試合ながらも離脱後の初のフル出場を果たしている。
完全復帰にはまだ時間がかかると報道されているが、あの端正な顔つきをした内田篤人が我々の代表の右サイドバックに帰ってくる日は刻一刻と近づいている。
今を時めく久保裕也と共に、右サイドでアジアのライバルを圧倒する日はすぐ近くにまで迫っているのだ。

柿谷曜一朗、元日本代表サッカー選手

柿谷曜一朗選手との出会いは、2009年最下位に低迷していたサッカーJ2徳島ヴォルティスへ彼が移籍してからです。
彼は、J1サッカーの人気チームであるセレッソ大阪の生え抜きの選手で、16歳でプロ契約をしています。
同期入団に香川真司選手がいます。
香川選手の台頭で思うような結果を出せなかった柿谷曜一朗選手は、遅刻癖などの怠慢から移籍を余儀なくされました。

彼の徳島でのデビュー戦は、横浜FC戦で、スタメンに抜擢され見事に期待に応え先制ゴールを決め、2-0の勝利に貢献しました。
徳島在籍中の柿谷曜一朗選手は、多くの徳島ヴォルティスサポータを魅了してくれました。

柿谷曜一朗選手のボールさばきの華麗さスピード感どれをとっても何かやっれくれるのではないかとワクワクさせてくれました。
彼の在籍中にJ1昇格の夢はかないませんでしたが、その後、徳島ヴォルティスがJ1昇格につながる道筋を作ってくれた気がします。

セレッソ大阪に復帰してからの柿谷曜一朗選手の活躍は目を見張るものがありました。
セレッソの中心選手となった彼は、ついに日本代表まで駆け上がり、2013年の東アジア大会では得点王となり、見事初優勝に貢献しました。
翌2014年にはワールドカップ日本代表として出場しています。

ワールドカップ終了後、彼はスイスリーグ”バーゼル”へ移籍し多くのファンの応援を受けましたが、ここでは思う結果が出せず再びJ2に降格したセレッソに復帰しています。
復帰後の数試合は、柿谷曜一朗選手のゴールで湧きましたが残念なことにケガによってリーグ戦終了間際まで、欠場していました。
結果的にはリーグ4位からプレイオフでJ1昇格を果たしています。

そして2017年、柿谷曜一朗選手の真価が試されるシーズンが始まりました。
まだケガの影響で本来の彼らしいプレーからは、ほど遠い気がしますが気温の上昇と共に活躍してくれることを期待しています。
柿谷曜一朗選手のファンタスティックなプレーで、われわれファンを魅了してほしいです。
そして、日本代表を再び手に入れてほしいと願っています。

吉田麻也選手のサウサンプトンFCでのこれからに期待!

吉田麻也選手といえば、サッカー日本代表にも毎回召集され続けているディフェンダーです。
不動のセンターバックとして多くの代表選に出場してきたので、彼の名前を知っている方も多いでしょう。

そんな吉田麻也選手ですが、実は現在所属しているサウサンプトンFCでのパフォーマンスが良くなく、少し前までかなりの批判を受けていました。
吉田麻也選手の持ち味といえば、空中戦での強さや、後方からの正確なパス供給によるゲームの組み立てなどで、これらの調書がうまくいかせることができる試合では、一定以上の評価を受けてきました。
オランダのクラブからイングランド・プレミアリーグの名門サウサンプトンFCに移籍できたのも、そうした評価があったからでした。

しかし、吉田麻也選手はときどき軽率なミスをしていまうという欠点があり、彼のパスミスから相手にゴールを奪われるようなシーンが何度かありました。
彼のプレーは、不安定だったのです。
サウサンプトンFCでは、そうした不安定さが批判の的になっており、そのせいで吉田麻也選手の出場機会も減っていました。

ですが、2016年後半から徐々にプレーが安定し始め、評価が急回復したのです。
リバプールなどの強豪相手でも、臆することなく安定したプレーを見せ、リーダーシップをも発揮するようになり、いつの間にか吉田麻也選手はサウサンプトンFCに欠かせない存在へと成長しました。
私は、このことを本当にうれしく思っています。

というのも、彼が、今後の日本代表をも引っ張ってくれるのではと期待しているのです。
現在の日本代表は、ワールドカップ最終予選で苦戦しており、そうした苦境を乗り越えるには、吉田麻也選手の活躍が必要だと思います。
今後も、吉田麻也選手が安定したプレーを続け、活躍してくれるのを期待しています。

内田篤人選手、ドイツブンデスリーグ、シャルケ所属

2018年ロシアワールドカップの出場権をかけてアジア最終予選を戦っているサッカー日本代表。
厳しい予選の中で経験がある選手、世界と戦える選手をハリルホジッチ監督は求めています。

現在のサッカー日本代表には海外のクラブで活躍できている戦える選手は少なくなっています。
ベルギーで目覚ましい活躍する久保裕也選手など有望な若手が台頭していますが、何が起こるかわからないアジア最終予選に必要なのは豊富な経験がある戦えるベテラン選手ではないでしょうか。

海外で活躍し、アジア最終予選を経験し、戦えるベテラン選手。
そんな条件を満たせるのが、ドイツのブンデスリーガ1部シャルケに所属する内田篤人選手です。

内田篤人選手は、2010年にシャルケに移籍以来、フィジカルコンタクトの多いブンデスリーガで右サイドバックとして各国代表のエース級のアタッカーと対峙してきました。

シャルケはクラブチームの最高峰の大会であるチャンピオンズリーグにも定期的に出場しており、内田篤人選手もそこで日本人初のベスト4入りを果たしています。

また、南アフリカワールドカップ予選、ブラジルワールドカップ予選と2大会連続でアジア最終予選も経験しており、何が起こるかわからない厳しいアジアの戦いをよく知っている選手です。

怪我から復帰したばかりですが、戦えて経験豊富な内田篤人選手は日本代表がワールドカップに出場し、本大会で躍進するには絶対に欠かせない選手といえるでしょう。