サガン鳥栖に加入したビクトル・イバルボ選手

Jリーグは、既に開幕してから1か月ほどが経過しました。
今年は、例年以上に各チームが積極的に補強を行い、Jリーグのチーム間で主力選手が移籍し合ったり、代表歴のある外国人選手も何名か加入したりと、移籍市場はとても活発でした。

そんな中、突然サガン鳥栖に新たな助っ人が加入することが発表されました。
サガン鳥栖に入団することになったのは、コロンビア代表として2014年ブラジルワールドカップに出場した、ビクトル・イバルボ選手です。
ビクトル・イバルボ選手は、世界的に有名とまではいかないので、サッカーにそこまで詳しくない人にはなじみのない選手かもしれませんが、そこそこ詳しい人なら、知っている人も多いはずです。

私も、もちろんビクトル・イバルボ選手の事は知っていたので、ちょっと前までコロンビア代表として試合に出ていたフォワードが来るなんてスゴイ!とびっくりしてしまいました。
契約は今年度いっぱいのようですが、ビクトル・イバルボ選手はさっそく、加入して数日しかたっていないのにもかかわらずスタメンで試合に出場して、観戦に訪れたファンを興奮させたようです。

私は、ビクトル・イバルボ選手がたくさんゴールを奪うのではないかと、とても期待しています。
彼は、フィジカルが強くシュート力もあるので、上手くチームにフィットすれば、得点王争いも可能だと思うのです。

そうなれば、サガン鳥栖も上位が狙えるので、今から本当に楽しみです。
ビクトル・イバルボ選手の活躍に期待しています!

斎藤学選手、横浜マリノスの10番

名門横浜マリノスは今年の開幕を迎えるにあたって大きな問題を抱えていました。
ことの発端は去年から続くフロント主導で連れてこられたフランス人のモンバエルツ監督の選手との対立といわれています。
原因は起用法なのか戦術的なことなのかそれ以外のことなのかわかりませんが、去年のリーグ戦の途中からチームとフロントが半ば空中分解のようになっており、シーズンの成績も年間10位と低迷しました。

そしてシーズン終了後問題が爆発します。
マリノスのフロントはベテランの中澤、栗原らに大幅減俸が提示し、モンバエルツ監督の続投も決定。
選手の多くはフロントと監督に不満を持ち、サポーターもこのフロントの行為に反発します。

そして決定打はマリノスの顔で生え抜きの中村俊輔のジュビロへの移籍という事態を招いてしまいました。
時期エース候補の斎藤学選手は海外志望のためオファーを待っていたため戦力としてみられていなかったため2017年のマリノスは一体どうなってしまうのだろうという懸念が大きく広がっていました。

ところがです、この斎藤学選手に海外のクラブからオファーは残念ながら届きませんでした。
そこで開幕直前になって斎藤学選手はマリノスと再契約することになりました。

しかも中村俊輔がつけていたマリノスの10番を背負ってです。
これは斎藤学選手がマリノスのために自らが中心となって引っ張っていくという意気込みを皆に感じさせました。

今シーズンのJリーグが開幕し斎藤学選手のドリブルがキレキレです。
また新外国人のウーゴ・ヴィエイラとバブンスキの活躍もあってマリノスも好調です。
ワールドカップ出場を目指す日本代表に斎藤学選手が選ばれないのがまるでわからないくらいサイドのドリブルの動きが日本人の中でも頭一つ抜けています。

個人的に試合に出てなくタイプの近い宇佐美より、絶対に斎藤学選手のほうが現時点では優れていると思います。
斎藤学選手のサイドでの個人突破力は試合の終盤で出てこられたら絶対にDFは嫌なはずです。

なんでハリルホジッチは選ばないかなと思います。
それでも今後Jリーグで代表に呼ばざるを得ないほどとんでもなく活躍して、選ばれなかったら国民からブーイングを受けるほどの選手になってほしいと願っています。

ポール・ポグバ、マンチェスターユナイテッド所属、フランス代表

現在イングランドプレミアリーグのマンチェスターユナイテッド(以下マンU)に所属するポール・ポグバは、若いころから才能を持った選手でしたが、マンUでは出番がなく、イタリアの名門ユベントスへ移籍金0で移籍しました。
しかし移籍後はすさまじい勢いで成長を遂げ、あっという間に名門のレギュラーになり、チームにとって欠かせない存在になりました。

ポール・ポグバの持ち味は高いキープ力とパス制度、そしてなんといっても強烈なミドルシュートです。
両足を使うことができ、こぼれ球や浮き球に積極的に足を振りぬき、何度となくミドルシュートを決めていました。

その活躍から、世界中の名門から注目され、スペインのバルセロナ・レアマドリードや、古巣のマンUからの関心も寄せられました。
当初はユベントスの後はバルセロナへの移籍が確実といわれていましたが、結局、ポール・ポグバはマンUに戻ることになります。

その時の移籍金は日本円で100億を軽く超え、数年前移籍金0でイタリアへ行った選手を100億かけて取り戻したマンUは、当時何を考えているのかとかなり批判されていました。
ポール・ポグバはフランス代表でも既に中心選手で、ワールドカップやユーロでも大活躍し、今や世界の中でトップレベルの選手といえます。

セオ・ウォルコット選手、アーセナル所属のイングランド代表

アーセナル所属のセオ・ウォルコット選手は、イングランド代表のFWですが、その特徴はなんといってもスピードにあります。
主なポジションは右サイドで、スピードを生かしたドリブルが最大の持ち味です。

今でも衝撃だったのは、当時、セオ・ウォルコット選手が17歳でW杯のメンバーに召集されたことです。
出番はなかったものの、将来性を買われての選出だったと思い、数年後スーパースターになっていると誰もが思っていました。

しかしその後、セオ・ウォルコット選手は伸び悩みます。
スピードはあるけれどテクニックがなく、相手を置き去りにできず、OBからも「サッカースパイクを履いた陸上選手」とまで言われてしまいます。

クラブではアーセナルのレジェンドであるもとフランス代表のアンリ選手のつけていた14番を引き継ぎますが、彼ほどのインパクトは残せずにいます。
セオ・ウォルコット選手は怪我も多く、毎年のように放出候補に挙がりますが、それでもアーセナルに残り続けます。

最近ではポジションを1時期真ん中よりの位置に移しますが、やはりその後はいつものポジションに戻っています。
セオ・ウォルコット選手は、シーズンの一定期間だけか活躍し、今年こそやってくれると思いきや急に調子を落としてしまうことがあるので、1シーズン通しての活躍が期待されます。

三島康平、空を制する男の魅力

皆さんこんにちは。水戸サポーターです。
前回迄は、現在水戸に所属している選手を取り上げてきましたが、今回は水戸OBの三島康平選手を取り上げていきたいと思います。

水戸サポーターの私にとって三島康平選手は、絶対に忘れる事ができない選手です。
おそらく多くの水戸サポーターも、私と同じ気持ちではないでしょうか?それぐらい、水戸サポーターにとって三島康平選手は大切な存在でした。

三島康平選手は埼玉県出身の29歳 駒沢大学からヴィッセル神戸に入団しました。
浦和東高校時代は、全国的には無名選手でしたが、駒沢大学時代に、大学の先輩でもある、巻誠一郎選手(現ロアッソ熊本)を彷彿とさせる前線からの激しいプレッシングと、無類の空中戦の強さで注目を集めました。

しかし、期待されて入団した神戸では、怪我もあり在籍2年で4試合出場 無得点と不本意な成績で、僅か2年で神戸を退団して、2012年水戸に拾われる形で入団しました。
水戸でも怪我に泣き、中々満足なプレーは出来ませんでしたが、柱谷監督の辛抱強い指導もあり、翌13年シーズンは試合出場も増え32試合4得点を記録し、以降、レギュラーに定着しました。

翌14年シーズンは、35試合出場5得点、15年シーズンは怪我に苦しむも33試合出場7得点と、自己ベストの成績を残し、水戸のエースとなりました。
サポーターにも、丁寧なファンサービスと天然なキャラクターで1番の人気者になりました。

翌16年シーズン、水戸サポーターに激震が走りました。
低迷に苦しんだ15年シーズンを、支えた主力選手達が次々とチームを去り、「三島も水戸から居なくなるんじゃ…」と不安にかられました(ホントに心配しました)

しかし、三島康平選手は西ヶ谷監督やチームメイドの説得もあり無事残留し、オフの鬱憤を晴らすが如く、ゴールを量産しました。
三島康平選手は、シーズン中の7月に松本山雅に移籍する事になりましたが、サポーターはショックを受けましたが、晴れやかに三島康平選手を送り出す事になりました。

お別れ試合の町田ゼルビア戦は、後半20分まで、0-3と大苦戦しましたが、選手達も水戸サポーターも「勝って三島を送り出すんだ!!」と気合い十分で、残りの25分で3点を取り返し、引き分けに持ち込みました。
試合後、サポーターへ向けたお別れの挨拶は、三島康平選手も水戸サポーターも涙が止まらないセレモニーになりました。

松本山雅では、絶対的エースの高崎選手が居る影響でベンチスタートも多く、本人的には不本意でしょうが、松本山雅サポーターからは三島康平選手の信頼が厚いと聞きます。
水戸から松本山雅に移籍した理由は「もう一度J1でプレーしたい」との事でした。

松本山雅は強豪チームなので、三島康平選手の目標であるJ1でのプレーも叶うと思います。
今から、今シーズンの水戸対松本山雅で、ケーズデンキスタジアムに凱旋する三島康平選手を見る事が、私は楽しみでなりません。

細川淳矢選手、地獄を味わった男

皆さんこんばんは、水戸サポーターです。
過去、三島康平選手(松本山雅FC)馬場賢治選手(カマタマーレ讃岐)と水戸OBの選手を取り上げましたが、今回は今期、水戸で副キャプテンを務める細川淳矢選手を取り上げます。

細川淳矢選手は、埼玉県出身の32歳 高校時代は埼玉の名門武南高校で頭角を現し、仙台大学を得て、2006当時J2に属していたベガルタ仙台でプロデビューをしました。

仙台では、期待は大きかったものの、プロの壁を撃ち破れず、在籍6年間の通算でも出場9試合に留まり、最後の1年間は膝の大怪我にも苦しみ、2011年仙台との契約満了、細川淳矢選手曰く「地獄を見た1年だった。サッカー選手として自分は終わったと思いました。」という程追い込まれてました。

しかし、そんな細川淳矢選手に当時の水戸の柱谷監督が、救いの手を差し伸べ、練習生として水戸に加入する事になりました。

この時の事を、細川淳矢選手は後に「柱谷監督に誘われてホントに嬉しかったし、救われました。体がぶっ壊れてもやってやるぞ!と思いました。」と述べています。

そんな強い決意が実り、細川淳矢選手は7月に水戸の選手として、正式に入団しました。

そのシーズンは、7試合に出場しプロ初得点も記録し、翌年からはレギュラーに定着、14年シーズンこそ怪我の影響で10試合の出場に終わりましたが、それ以外の年は、水戸の守備の中心選手として、試合に出続けて、今に至ります。

細川淳矢選手の持ち味は闘志溢れるプレーですが、ピッチを離れれば、底抜けの明るさと後輩への優しさで人望も厚く、サポーターに対する態度もフレンドリーで優しく、話しかけやすい選手No.1です。

私の憶測ですが、サッカー選手として、1度地獄を見ているからこそ、自分を慕ってくれる仲間や応援してくれるサポーターへの感謝が、そういう気持ちにさせるのかな?と思います。
みんな大好き細川淳矢が、1日でも長く水戸でプレーしてくれる事を願うばかりです。

本間幸司選手、穏やかで飾らない性格

微笑みの守護神 本間幸司!
こんばんは水戸サポーターです。

前回は、水戸ホーリーホック 湯澤洋介選手の魅力をお伝えしましたが、今回は、本間幸司選手をご紹介致します。
本間幸司選手は、茨城県日立市出身 水戸短大付属高校(現 水戸啓明)から浦和レッズに入団 3年間、浦和でプレーしました。

そして、1999年当時JFLの水戸ホーリーホックに入団以来、今シーズンで18年水戸の顔としてプレーしています。
熱心なファンサービスと、穏やかで飾らない性格もあって、本間幸司選手は老若男女(特に子供の人気が高い!)問わず、水戸サポに親しまれています。

冒頭の微笑みの守護神の意味ですが、私が独断で名付けました(笑)
ここ数年、試合中よく見る光景ですが、ミスをしたDFに対して怒る訳でもなく「大丈夫!大丈夫!」と笑顔で声を掛ける場面が増えました。

この事に関して、本間幸司選手は「自分の様なベテランが怒ってしまうと、若い選手は萎縮してしまう。若い頃は出来なかったけど」と述べている通り、以前は、結構激しく怒鳴る事もあったと、1人の水戸サポとして覚えてます(観客席まで聞こえてた)。

さて、そんな本間幸司選手も今シーズンで、在籍19年目。
身体の衰えも見てる限り、全く感じられず元気に練習に明け暮れています。

我々、水戸サポは「幸司と共にJ1へ!!」が共通の悲願です。私も、1試合でもいいから、本間幸司選手が水戸のユニフォームでJ1のピッチに立っている姿を早く見てみたいです。
今回も最後まで、筆者の拙い記事にお付き合いして頂きありがとうございました。