久保裕也、ブンデスリーガ・1.FCニュルンベルク所属

サッカー選手で久保と言うと皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか?
日本人離れした驚異的な身体能力でゴールを量産しながら、けがに苦しみワールドカップ出場を果たせなかった久保竜彦でしょうか?

それとも、天才少年と言われ続けかつて FCバルセロナの下部組織で育った久保建英でしょうか?
かつてサッカー界の久保と言われるとこの二人を想像する方が大多数だったでしょう。

しかし今年から急激に知名度を上げてサッカー界の久保の代名詞となったのはKAAヘント所属の久保裕也です。
今や日本代表に欠かせない男であり不調に苦しむかつての代表のエース本田圭佑からポジションを奪った男です。

多くの方は、日本代表で立て続けにゴールを決めて所属チームでも大活躍する久保裕也しかご存知ないでしょう。
それでは、日本人初の欧州1部シーズン20得点達成した久保裕也の背景を少しご紹介しましょう。

彼のプレーが注目を集め始めたのは、彼が京都サンガFCに所属していたころです。
J2に苦しむエレベータクラブを脱却するために、久保裕也は当時の大木監督に抜擢され、高校生ながらゴールを量産し、高校生ながらリーグ戦10ゴールを挙げる大活躍でした。
天皇杯でもここぞという場面でベテランのような落ち着いたプレーで3ゴールをあげて京都サンガを準優勝に導きます。

久保裕也は、このころからとにかくシュートが上手く、ボールを吹かすこともほとんどありませんでした。
若くしてチームの柱となり、当時のチーム練習は彼の学校が終わり次第始まっていた、という伝説も京都サポーターの中では囁かれていました。
長年決定力不足に悩まされていた日本代表を救う男、久保裕也は京都の地でしっかりと力を蓄えていたのです。

京都ユース時代も、誰よりも遅くまでシュート練習を黙々とこなしていたそうです。
そして、久保裕也の性格を伺わせる京都時代のエピソードがあります。

久保裕也は、2013年シーズンの途中にスイスのヤングボーイズへと移籍します。
しかし実際にはその前から彼の所属はヤングボーイズへと移行していたと言われています。
ヤングボーイズからのレンタル移籍として京都でのプレーを続けていたのです。

その理由は、京都をまだJ1へと導いていないこと、お世話になった京都を自分のステップアップの簡単な踏み台にしたくないという男らしい理由でした。
しかし義理堅くても20歳の伸び盛りのこの男の意見を、ヤングボーイズがいつまでも聞いてくれるわけもなく、2013年シーズンの途中でスイスへと渡ることになったのです。

スイスでの4年間で35のゴールをあげてしっかりと結果を題した後に、ベルギーのKAAヘントへの移籍が決定しました。
かつてスイス時代にテレビでの特集では、家にカーテンもなく、「趣味は努力すること」と述べた男はそのサッカー漬けの努力が実り所属のKAAヘントでも日本代表でも大車輪の活躍を見せている。

その後、ブンデスリーガ・1.FCニュルンベルク所属に。
きっと久保裕也は、ニュルンベルクでも誰もが認める結果を出し続けるでしょう。
結果を残した後に本人が希望するイタリアでのプレーが待っているはずです。

かつての古き良き日本人らしく、義理堅く必ず結果を残してから所属チームを去る律儀な男はこれからもニュルンベルクで結果を残し続けるでしょう。