長友佑都と我々が彼の生き方から学べる事

サッカー日本代表と言えば文字通り日本人で最もサッカーが上手いプロ選手たちの集まりだ。
多くのサッカーファンの憧れの対象となり多くのお金をかせぐ魅力ある男たちである。
一見して人生に挫折を味わったことのなさそうな、世間知らずのエリートたちだけで構成されているかのようにさえ見える。

しかし、そんな中でもサッカーエリートではなく、雑草魂でたたき上げで結果を残し日本代表のユニホームを勝ち取った男がいる。
その名前は長友佑都だ。

オフシーズンにはよくテレビにも出演しており、何よりもタレントである平愛梨と結婚したことでサッカーファンでなくとも、長友佑都の名前はご存知だろう。
今でこそイタリアの名門インテル・ミラノに所属し日本代表の顔だが、子供時代に多くの苦難を経験している。

実際に、長友佑都の父と祖父の事業失敗したために父はが失踪し、母一人子供3人の厳しい生活を子供時代に送っているのだ。
幾ら道具の少ないサッカーとはいえ、母子家庭で本格的にサッカーをすることは、家庭の経済を間違いなく圧迫しただろう。

しかも、長友佑都は、小学6年生時に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けるも不合格になっており、サッカー人生も順調ではなかった。
2002年にサッカーの強豪東福岡高校に進学するも、地区選抜などには選ばれず、全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られずに高校の指定校推薦で明治大学に入学することになる。
大学時代も入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発したために、試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。

しかし、椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功したのか2006年8月以降に急激に頭角を現しチームの主力選手へと駆け上がる。
長友佑都の成り上がりはとどまることなく全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出され、2007年5月からはFC東京の特別指定選手に登録され7月8日には公式戦デビューをかざりU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出されることになる。

そして、大学卒業を待たずにしてFC東京と契約を結び明治大学を中退することになる。
ここからの長友佑都のストーリはサッカーファンなら誰もがご存知だろう。

瞬く間に日本代表に選出され、伝説の2010年南アフリカワールドカップで結果を残し世界一過酷なリーグセリエAへと移籍する。
ACチェゼーナと言う小さな町クラブに所属するがたった16試合でその献身的かつ驚異的な運動力が評価されて名門インテル・ミラノへと移籍することになる。

つい4年ほど前までは明治大学でもスタメンを貼れずに応援団として太鼓を叩いていた男が誰もが知るインテル・ミラノに所属しているのだ。
長友佑都が、なぜこれほどまでに評価されるのか?
それは驚異的で献身的な運動量だろう。
長友佑都の成り上がりの人生を見ると誰もが大きな成功をつかむチャンスがあることを教えてくれる。

ただ、そのチャンスがあった時に全力でつかみにいくかは自分次第だ。
長友佑都も明治大学を卒業してからFC東京に所属することを希望していれば、U23歳以下の日本代表にも選ばれることはなかったかもしれない。

そうであれば、今8万人を収容するインテルのホームであるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァでプレーする日本人を我々は目にできなかっただろう。
自分がどんな環境で育っても腐らずに努力をしチャンスに積極的に挑戦すれば大きな成功を掴める。
それが長友佑都が我々にサッカー人生を通して教えてくれた貴重な教訓だ。